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天空の茶

野外でお茶を楽しむことを野点(のだて)という。千利休の秘伝書とされる南方録にも野点の記述が見える。当時は野ガケ、フスベ(松葉や枯れ枝をくすべて湯を沸かす意)の茶と言った。野点という言葉は、もともと野外の遊びを意味する野駆けから転じたものだ。

有名な野点は、1587年に豊臣秀吉が京都・北野天満宮境内で開催した北野大茶会である。貴賤も国籍も問わず参加者を募り、800もの席が作られたと伝えられる。黄金の茶室をはじめ、おなじみの大きな朱の野点傘はこの茶会で使われた。また、大名茶人として知られた小堀遠州が、師匠古田織部たちと利休亡魂の額を掲げ、吉野で花見の茶会をしたという記録もある。

南方録は野ガケの極意を「定法ナキガユエニ 定法、大法アリ」と説いた。まさに禅問答である。さらに、えせ茶人は必要ないと喝破し、客も周りの景色に気を取られることなく心を茶に集中するように、と手厳しい。亭主も客も巧者でないといけないのだ。

しかし、小難しいことは求道者にお任せして、まずはお茶を携えて外に出よう。茶かごを持って野山に繰り出したり、庭のテーブルで小鳥のさえずりを聞きながら紅茶を味わったりするのは格別だ。公園のベンチで一息つくお茶もいい。アウトドア好きの日本人にとって、お茶は最高のアイテム。フォーマルな茶会が苦手な人でも、自然の中で一服すれば、幸せな気分になれるはずだ。

わたしはトレッキング茶会と称し、春は花、夏は涼、秋は紅葉を求めて山を目指す。天と地の境界にある山頂は、自然が織り成す究極の茶室だ。天空を仰ぎ下界を見渡し、抹茶を頂く。この爽快感は山でしか味わえない。山の天気は気まぐれだ。いつ急変するかもしれない天候に備えて、亭主と客との連係プレーが必要になる。「亭主も客も巧者でなければならない」南方録の言うところを実感する時だ。岩石に腰掛け、茶わんを両手に受け、自然に感謝し、まずは抹茶を一服。「うまい!」天空での抹茶は何にも増して最高のごちそうなのである。


正座・膝考

宮崎県椎葉村には「茶の膝」という方言がある。「茶の膝」とは家人が主人や客人にお茶や食事を出すために座る場所のことを言う。囲炉裏の周りは上下関係、役目によって座る場所が決まっているのだ。10年前、この方言に出会って遅まきながら茶道における膝の重要性に気付いた次第だ。

利休の座像をみて、利休は「胡座(あぐら)」をかいていた、つまり茶道では「正座」はしていなかったという説や武家茶道の正式な坐り方が「立て膝」であったという説を耳にする。しかし、これは茶の湯をまったく理解していない人の考えだ。私も「正座」が苦手で茶道を躊躇している人に対して「昔は正座はしてないですよ」と云うこともあるが、それは、茶道=正座というアレルギーを払拭させるために過ぎない。

実は茶道のおいて、「正座」、「胡座」云々のスタイルよりも大切なことは「膝」である。神仏や貴人に対して敬意を表す動作に、地面や床に膝をついて身をかがめる「跪(ひざまず)く」という言葉がある。諺にも、「膝を正す」「膝を交える」「膝をくずす」「膝を屈する」「膝を進める」など、自分と相手との距離感をあわわすのに膝を使うことが多い。

17世紀の茶書『草人木』にも「面々の座へ付て、亭主の出る迄、膝をなおさず、行儀高にして・・・」「貴人の御膝のあたりを通まじき故なり」「客の御膝ろくに御座候へと申」「礼終はらば、亭主膝の時宜を客にいふべし。客も亭主もろくに居る事もあり、始終亭主はかしこまりても居る也」「亭主膝をなおし、客のまへにむかひて」等々ある。点前、身体の向きを変える、移動することを考えれば、少なくとも膝の自由がきかないと動きがとれない。

『石州三百ヶ条』には「身のかねといふハ、我身をしかと居り、釜の蓋を取事の程能きをかねとする也」とある。”我身をしかと居り”とあるので、しっかりとお尻を畳につけて座った「割座」であったようだ。18世紀の茶書『茶話抄』にも「まつ居所を畳に付て腰をすえ、両の足の甲を畳に付け膝頭を張様に心を付べし」とある。「割座」とは、いわゆる「お婆ちゃん座り」「女の子座り」と呼ばれる座り方である。

「胡座」のように足を組むという状態は、膝が開いてしまい動きがとれないことを意味するので、客ならともかく、動きを必要とする亭主にとっては不都合な座り方となる。「正座」、爪先を立ててお尻をかかとにのせる「跪踞(跪座)」、そして「割座」が膝を動かすことが可能で、茶道における座り方としてはありえるだろう。

では、「立て膝」はどうかとうと、これは点前の中では許されたようだ。『草人木』に「大きなる釜ならば、なをしたる釜の正面へ身をふりなをり、右の膝を立て、膝かしらの上に右のかいなをのせてにじりやるべし」とある。大きな釜を畳の上を擦って移動させる時、体を釜に向けないと釜の中でお湯がたぶつくし、水が多く入っているので、そのまま移動させると腕に力が入り、しかめっ面になる等々、片膝を立てれば軽々と動かすことが出来るということだ。始終「立て膝」というわけではない。

また、「一畳半又は風炉の時、道安肥満したる故、左の足をくつろけて居る。水翻は膝より外へ出候。され共、右の膝とこぼしとかねて同じ事也。是は肥満したるによって也」とも。肥満体だった千道安の点前での座り方を記した文章である。シンパシーを感じる一文だ。
”足(くるぶしより下)をくつろけて”とあるのだから、足を横に広げたと「横座り」の状態であったと思われる。当然、膝は通常の位置よりも後ろに引かれた状態になるので、こぼしが膝の線よりも外に出てしまう。例外的に「横座り」も膝を動かすことが可能なので許された。太った人に優しい時代だ。

茶道の座り方は”膝”が重要であると書いてきた。膝が動く座り方であれば、決まった座り方はなく自由であった。茶道は正座をしたままじっと動かないという誤解が、日常の正式な座り方と混同して、「胡座」や「立て膝」であったと思われたのではないか。膝を崩してしまっては茶も食事も出すことはできない。亭主は胡座をかいてはいけないのだ。

茶道は、どのような座り方であろうと、膝の向き、状態、距離などが大切なのである。



茶の文化フォーラム主宰
武家茶道 茶人
壷中庵 宗長 
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